優しく屋根を打つ雨の音。
抑えきれなくなりそうな私の気持ちを、なだめるかのように。
落ち着いた旋律に、かえって心が揺れ動いて。
遠く蝋燭の溶け落ちる匂い。
熱くうずまく胸の内を、包むかのように。
閉じこめられて、かえって熱が蓄えられて。
礼拝堂を包む空気は、どこまでも厳かで。
お騒がせだったあのふたりには、あまりに似合わなくて。
なんだか、笑えてきた。
隣にたたずむ親友。
気遣うように。
「ミサト・・・」
「ん、大丈夫・・・
ありがと、リツコ・・・」
吐息。
心のざわめきを静めるように。
胸の熱さを逃がすように。
そっと、取り出してみる。
一個の、消しゴム。
すり減って。
使い古されて。
ちっちゃくなった、アスカの消しゴム。
無言で、語りかけてくる。
それは、あの子がどうしても踏み出せなかった、最後の一歩。
視界を滲ませる、温かい水。
一筋の、光を放って。
身に纏う黒い布に、染みをつくった。
Illusion Laboratry 1周年記念
はんかくもじのゆうき
作:とれとにあ
「たっだいまー♪」
夜の9時。
ドアを開けると、安らかな空気にのって、野菜を煮込んだ匂い。
残業で疲れた身体に、優しくしみこんで。
私を出迎えてくれる、あの子たちの声。
「お帰りなさい、ミサトさん。」
「お帰り、ミサト。
遅かったから、先食べちゃったわよ。」
「オッケー、オッケー!
シンちゃん、今日はなんなの?」
「ビーフシチューですよ。
いま、用意しますね!」
シンジ君がいて、アスカがいて、私がいる。
もう3年も続いている、共同生活。
シンジ君が、楽譜を置いて立ち上がった。
やっぱり、アスカに聞かせてあげるつもりかしらね。
アスカは、テーブルを挟んで、シンジ君の向かい側。
ノートになにか、書き込んでいる・・・?
「アスカ?
なにしてんの?」
「んーーー???
ペンペン描いてたの。」
のぞき込んでみると、お魚をくわえた、ペンペンの姿。
「へぇ、アスカ、上手いじゃない!
うんうん、ゲージツの秋よねぇ!」
「常夏でしょ、ここは。
ま、暇だったしね。」
暇、か・・・
だったら、部屋に戻ってもよさそうなものだけど・・・
ま、それはないか!
思えば、同居を始めたころから。
アスカは寝るときくらいしか、自分の部屋に戻らなかった。
あのときは、まさか、と思ったもんだけど。
いまとなっては、疑う方が愚かってものね。
よーするに、シンジ君のそばにいたいのよね、アスカってば♪
「???
なに、ニヤニヤしてんのよ?!」
「んーーー???
べっつにーーー。
アスカって、可愛いなぁって思ってたのよ。」
「な・・・いきなり、なに言い出すのよ!」
「あらぁ、謙遜しなくてもいいじゃない!
ねぇ、シンちゃん!
アスカって、さいっこうに可愛いわよねぇ!3詭?」
「え?あ、あの、その・・・あ、えっと・・・」
「な!
み、ミサト!
あんたねぇ!」
おーおー、ふたりとも真っ赤になっちゃってぇ!
「ふたりとも、照れることないわよん♪」
「「!!!」」
まぁったく!
これで、まだつきあってないって言うんだから。
あっきれた話よねぇ。
もっとも、そのおかげで、こうしてからかえるんだけど!
ま、今日はこのへんで勘弁してあげますか!
「さ、シーンちゃん!
はやくシチュー持ってきてくれない?」
「え、あ、は、はい!」
パタパタとキッチンにかけていくシンジ君。
「へへ、アスカ、ごめんねぇ!」
「も、べ、別になんともないわよ!」
目の前にシチューが運ばれてきて。
うーん。いい匂い!
さすが、シンちゃんね!
「さてと、いっただきまーす・・・
って、アスカ・・・
そんな、じっと見つめられると食べにくいんだけど・・・」
「ああ、気にしないで、ミサト。
食事中のミサトの顔、描いたげるからさ。
特に、おっきく口を開けたところとか!」
「そ、それはちょっち、辛いんだけど・・・」
「別に、写真に撮ろうってわけじゃないんだけど・・・
ま、いいわ。
だったら、想像で描くだけだから。」
さらさらぁと鉛筆をノートに走らせる。
後ろからシンちゃんがのぞき込んで。
「あすかぁ、これじゃ、ガギエルだよ・・・」
「へ、そう?
アタシ的にはサンダルフォンのつもりだったんだけど・・・・」
どっちにしろ、使徒かい・・・
「あ、アンタたちねぇ・・・」
「ほら、ミサト、気にせず食べなさいよ!」
「シチュー、冷めちゃいますよ!」
ううっ・・・
しっかり仕返しされちゃったわねぇ・・・
コトリ。
シチューの横に置かれる、銀色の缶。
ビール。
「お疲れさまです、ミサトさん。」
「ありがとぉ、シンちゃーん。」
「シンジ!あんまりミサトを甘やかすんじゃないわよ!」
アスカはとりあえず私にやり返して満足したのか。
ノートやら鉛筆やらを片づけて。
テーブルに散らばっている消しカスをちまちまと集めている。
???
違和感。
作戦部長として長年鍛えた観察力が。
目前の光景に注意すべき旨を告げてくる。
なに???
シンジ君とアスカに視線を走らせる。
「・・・どうしたの、ミサト?」
「・・・ううん、なんでもないわ・・・」
別にふたりに変化があるわけじゃないわよね・・・
まさか、つきあい始めた、なんてことがあったら、
見逃すはず、ないと思うし・・・
それに、私に黙ってることもないと思うし・・・
じゃあ、いったい・・・???
少し気になったけど。
目の前のビーフシチューとビールの誘惑に勝てるわけもなく。
そのときは、そのまま忘れてしまっていた。
・
・
・
・
・
礼拝堂を支配する、静かな緊張感。
肌に、突き刺さるほどに。
雨のもたらす冷たい外気が。
扉が開くたびに流れこんできて。
熱くなった目元を冷ましていく。
手のひらで、コロコロと転がしてみる。
ちいちゃくなった、消しゴム。
アスカの、消しゴム。
わずかな人の動きも、逃さずにとらえて。
蝋燭の炎が、揺れる。
揺れる。
揺れる。
照らし出されて、手のひらの上に。
消しゴムの影が、踊る。
踊る。
踊る。
大胆に。
繊細に。
強がるように。
怯えるように。
踊る。
踊る。
まるで、アスカの心そのもののように。
踊る。
・
・
・
・
・
「たっだいまー♪」
夕方の6時。
ドアを開けると、いつもの喧噪の気配はなく。
ヒンヤリとした、静けさのなか。
「あ、お帰り、ミサト。」
リビングで、鉛筆を片手に。
「あ、アスカ、ただいま!
えっと・・・シンちゃんは?」
「ん・・・鈴原と相田と・・・遊んでくるって・・・」
「ふぅん・・・寂しいわねん、アスカ!」
「・・・まぁね・・・」
おーおー。
本人がいないと、素直なもんねぇ♪
「ふぅん・・・
それでアスカは、ひとり寂しく、
シンちゃんのことを思ってるのね!」
「な!
わ、わけわかんないこと言うんじゃないわよ!」
「えー、だってぇぇぇ・・・」
さりげなく、さりげなく。
アスカに近づいて。
「・・・さっきから描いてるの、シンちゃんじゃないの!?」
うりゃ!!!
アスカのノート、ゲットよん♪
「あ!
ちょ、返してーーー!!!」
「どれどれぇぇぇ!!!」
ほーら、やっぱり。
うんうん、よく描けてるじゃないの!
「おーーー!!!
上手いじゃない、アスカ!」
ほっんと、上手いわ!
なんて言うか、こう。
被写体への愛情ってやつが、あふれ出してるわね!
「返しなさいって、言ってんでしょ!!!」
「きゃっ・・・と・・・ねぇ、アスカ。
なにを思いながら、シンちゃんの絵なんか描いていたのかなぁ?」
「な・・・!?」
「アスカを優しく見守ってくれる、シンちゃんの眼!」
「う・・・」
「アスカにおいしいご飯をつくってくれる、シンちゃんの手!」
「あうぅ・・・」
「アスカに優しい言葉をかけてくれる、シンちゃんの口!」
「・・・」
「・・・それとも、
アスカの唇を優しくふさいでくれる、シンちゃんの唇、かしら!」
「!!!
そ、そんなこと、まだされてないわよ!!!」
「ほっほぅ。
まだ、ね・・・」
「・・・!!!
み、ミサトーーー!!!」
ズバーーーーーン!!!
あ、アスカ・・・
酷いわ、顔面にノートぶつけるなんて・・・
あ、眼がちかちか・・・
「っつーーー!!!」
「バカ言ってるからよ!
まったく、もう・・・
あ、あ、あああああああ!!!」
???
アスカがノートを開いて叫んでる。
どうしたのかしら?
のぞき込む。
アスカが描いたシンジ君の、眼の下、
つまり、ほっぺたあたりに。
私の口紅。
「ありゃあ。
シンちゃんに、キスしちゃったぁ!
えへへぇ、ごめんねぇ、アスカ!」
「・・・」
アスカは、ジイッと、その絵を見つめて。
「・・・アスカ?」
ゴシゴシゴシ・・・
いきなり、アスカは、その絵を消し始めた・・・
「アスカ・・・!!!
なにも、そこまで!?」
ゴシゴシゴシ・・・
半分、涙目になりながら。
「・・・アスカ、ごめん・・・」
「・・・いいのよ。
ノート、ぶつけたの、アタシだし。
また描けばいいから・・・」
ゴシゴシゴシ・・・
ちょっと、ふざけすぎちゃったかな・・・
ごめんね、アスカ・・・
でも・・・
すっごい独占欲・・・
こりゃ、からかい半分でも、シンジ君にキスなんかした日には。
マジで命の保証がないわね。
いや、シンジ君のね・・・
やがて。
ノートの白い紙に。
私の真っ赤なキスマーク。
それだけになって。
「・・・これでよし・・・と!!!」
とどめとばかりに、そのページを破いて。
ゴミ箱行き・・・
「・・・・・・」
「???
ミサト、なに、泣いてんの?」
「・・・いや、その・・・」
たしかに、悪いのは私だけどさぁ・・・
ちょっと、あんまりじゃない、とか・・・
恨みがましい眼で。
アスカのこと、見たりなんかして。
アスカは、気が落ち着いたのか。
ハミングしながら、消しカス集めてたりして。
???
違和感。
昨日も感じた。
いったい、なに???
「ん?ミサト、どうしたの?
あ!
ホントに、いいのよ、もう。
気にしてないから!」
「え、あ、うん・・・
ホント、ごめんなさい・・・」
上の空で、アスカに謝りながら。
正体のつかめない、違和感。
私は、とまどっていた。
・
・
・
・
・
「あら?
その消しゴム・・・」
静まりかえった、礼拝堂。
わずかに響く、リツコの声。
「・・・それ、アスカのじゃない・・・?」
「え、ええ・・・
よくわかったわね?リツコ・・・」
「・・・そりゃ、ね・・・」
正面の壁に掛かった、大きな十字架。
見上げて。
唇を噛んで。
彼女はそこに、自らの背負った十字架を見ているかのように。
かつては私の首にも掛かっていた。
小さな十字架。
いまはもう、ないけれど。
「・・・それを教えたの、私よ・・・」
「そうだったの・・・
なんか、意外ね・・・」
「あら、そうかしら・・・」
ふっと、わずかに微笑んで。
再び、その顔が引き締まる。
「パイロットのメンタルケアも、
私の仕事だったから・・・」
・
・
・
・
・
「ふぁぁぁぁ・・・おはやぅ・・・」
朝の8時。
ふすまを開けると、トーストの焼ける匂い。
ジャムが焦げたような香りに、鼻をくすぐられて。
「あ、おはよ、ミサト。」
リビングで、やっぱり鉛筆を片手に。
「おはよぅぅぅ、アスカ・・・
ん・・・ねむ・・・
ほぇ・・・シンちゃんは・・・?」
「日曜くらい、ゆっくり寝させてやんなさいよ!」
あきれたように、言い放つ。
そういう言い方されると、からかいたくなるって、
まだわからないのかしらね♪
「あらぁ、アスカ!
シンちゃんには、やっさしぃわねぇ!」
「な・・・!」
おー、顔が真っ赤。
これだから、アスカをからかうのって、やめらんないのよね!
「さてと・・・私の朝ご飯は?」
「・・・トーストぐらい、自分で焼きなさいよ!」
「はぁぁ、アスカって、私には冷たいわねぇ・・・
シンちゃんにだったら、
言われる前に、多めに焼いたげて、
おまけに、ジャムまで塗ってあげたりするのにねぇ・・・」
「シンジはバターよ・・・ジャム嫌いだから・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
ボンッッッ!!!
水蒸気爆発のような音がして。
いや、物理的に湯気が立ってるし。
「ち、あ、あう、が、違うのよ!
別に、シンジになら、用意したげるとかじゃなくってねっ!!!」
さすがにからかうのもバカらしいっつーか、
いまのに、私に、どーつっこめと???
朝っぱらから、圧倒的な若さを見せつけられて。
少々ブルーになりながら。
パンを焼くことにする。
まぁ、たしかに。
トースターにパンを放り込むだけなんだけど・・・
タイマーをセットして、とぼとぼとテーブルに戻る。
「・・・で?
私のパンを焼く時間も惜しんで、アスカ、なにしてんの?」
「いや、別に、そんな・・・あ、これ?
数学の宿題。
簡単なくせに、数ばっか、いっちょまえでさぁ・・・」
ふぅん・・・
なんのかんの言って、アスカって、頑張りやさんねぇ・・・
それにしても、簡単なくせに、か・・・
だったら、この大量の、消しゴムを使ったあとはなんなのかしらね?
笑いをこらえながら。
テーブルに散らばった消しカスをもてあそんで。
・・・・・・!!!
唐突に、気づいた。
近頃感じていた、違和感。
真っ白な消しゴム。
真っ黒な鉛筆。
なのに・・・
やっとわかった、この違和感。
その正体も。
その理由も。
そう。
そういうことだったの・・・
胸が熱くなっていくのを感じる。
瞳が潤みそうになっているのを感じる。
もれそうになる嗚咽を、必死に押さえて。
そっと、アスカの傍らに立って。
「・・・なに?ミサト・・・」
「アスカ・・・」
アスカは、不思議そうに、私を見上げて。
小首を傾げる様が、本当に可愛らしくて。
ホントに、いつの間に、こんなに可愛くなっちゃったの・・・
「ねぇ、アスカ・・・
なんで消しカスが緑色なのかしら・・・」
「???」
アスカは、なにを言われたのかわからなかったよg命うで。
でも、一瞬の後。
さっきの水蒸気爆発もかくもや、という勢いで。
一気に、顔に血を上らせて。
「あ、や、こ、これは・・・」
真っ赤な顔で、あわてふためくアスカ。
あまりに可愛くって。
ガマンできなくなって。
思わず、胸に抱きしめた。
「・・・み、ミサト・・・???」
「ん・・・ごめんね、アスカ・・・
ちょっち、ツボに入っちゃったかな・・・」
こらえきれない。
眼からポロポロとこぼれ出す。
涙って、温かかったのね・・・
「・・・」
「・・・アスカってさ・・・
幼いころから・・・
ネルフに、生き方決められちゃって・・・
エヴァに、心を縛られちゃって・・・
それが・・・いま・・・
こんなに・・・こんなに一生懸命に・・・
恋してるんだなって思ったら・・・
嬉しくって・・・
ちょっとね・・・」
アスカの、真っ赤な髪に。
涙が吸い込まれていって。
アスカはなにも言わなくって。
でも、ぎゅっと、私の服をつかんで。
「・・・」
「ねぇ、アスカ・・・
頼りにしてくれない?
これでも・・・いろいろと・・・
力になって・・・あげ・・・」
これ以上は、言葉にならなくって。
でも、伝えたくって。
アスカを、ギュッと、抱きしめて。
アスカは、私の心をなだめるように。
そっと、私の腕に手を添えて。
「・・・ありがと、ミサト・・・」
一言。
たった、一言。
その一言が、どうしようもなく嬉しくって。
鐘を鳴らしたような音。
トースターのタイマー。
パンが、少し焼けすぎたことを知らせる、炭の匂い。
わずかに漂って。
静まりかえったリビングを、優しく支配していた。
・
・
・
・
・
私の手のひらの、アスカの消しゴム。
おまじないに託した、アスカの想い。
そう、おまじない。
誰でも知ってる、おまじない。
真っ白な消しゴムに。
緑色のペンで。
好きな人の名前を深く刻んで。
使い切ったら、両想い。
いつも、そばにいたから。
いつも、近くにいたから。
それを失うのが、怖くて。
あと一歩が踏み出せなかったアスカ。
おまじないに縋りつくほどに。
追いつめられていた。
求めていた。
そして。
いまもこの消しゴムに残されている。
半角文字、一個分。
緑のペンで、「石」の文字。
これもまた。
アスカが最後の一歩を踏み出せなかった証。
・
・
・
・
・
「たっだいまぁん♪」
夕方の6時。
ドアを開けると、音の存在しない世界。
張りつめたような空気。
リビングから伝わってくるのは、悲しみの気配。
「・・・?」
冷たい空気に飲み込まれて。
「・・・ミサト・・・お帰り・・・」
「あ、アスカ、ただいま・・・
シンちゃんは?」
「・・・買い物、だって・・・」
「ふぅん・・・
それで、連れてってもらえなかったから、へこんでるわけだ!」
なんとなく重い雰囲気を、振り払おうと。
努めて、明るく、茶化すように。
だけど、アスカは。
ふるふると、首を横に振って。
「・・・ねぇ、ミサト・・・」
「うん、なぁに?」
「・・・頼りにしていいって、言ってくれたよね・・・」
「ええ・・・どうかしたの?」
アスカは、黙って。
そっと、机の上に置かれた、消しゴム。
あの消しゴム。
だいぶすり減って。
アスカに、眼で問いかけて。
無言で促されて。
消しゴムを、手に取って。
真っ白な消しゴムに。
緑色に、刻まれている。
半角文字の、「石」の文字。
私の考えが正しければ。
いいえ、まず、間違いなく。
「碇シンジ」の左端。
「・・・あと少しじゃない!
これが、どうかしたの?」
「ねぇ、ミサト・・・
これ、使い切ったら、どうすればいいの?」
「へ?
どうすればいいのって・・・」
「使い切ったら、両想いになれるって。
そう聞いてたの・・・」
「ええ、そうよ?」
「それ、使い切ったら・・・
アイツから、告白してくれるの?」
「へ?」
ぽたり、ぽたり。
机の上に、涙を落として。
「もし、告白してくれなかったら・・・どうすればいいの?
いままでとなんにもかわらなかったら・・・もうだめなの?」
「アスカ・・・!」
おまじない。
それは、しょせん、おまじない。
だけど、アスカにとっては。
強がった姿の裏に隠れた、寂しがりやのアスカにとっては。
わらをも掴む思い、だったのだろう。
最後の望みの綱、だったのかもしれない。
「いま」を失うことが怖くて、
だけど「いま」のままで終わってしまうことを怖れて。
そんなアスカには。
おまじないをやり終えたあと。
なにも起こらなかったときに。
こんなものね、と。
笑ってとばすなんて・・・できるはずもなくて。
シンジ君のことを、ひたすら想いながら。
消しゴムを使い続けた。
その日々を、なかったことにするなんて。
忘れてしまうなんて・・・できるわけなくて。
「それ・・・使い終わったあとが・・・
怖くて・・・
使えない・・・
これ以上・・・
使えないよぉ・・・ミサトォ・・・」
アスカの肩が震える。
アスカの声が震える。
アタシの目の前にたたずむ、その姿は。
とても、儚げで。
「アスカ・・・」
そっと、消しゴムをアスカの手に握らせて。
その手に、そっと私の手を添えて。
「・・・ミサト・・・」
「アスカ、大丈夫よ。」
「・・・」
「安心して、使いなさい。
最後まで、使い切りなさい。
大丈夫、シンちゃんはきっと、告白してくれるわ!」
鼻をすすりながら。
私の顔を見つめてくる。
その眼を正面から見つめ返して。
「大丈夫!
きっと、両想いになれるわ!」
「・・・ホント・・・?」
「本当よ!信じて!
ね!?」
「・・・うん・・・
信じたからね・・・
絶対なんだからね・・・」
「ええ!
だから、涙を拭きなさい。」
「・・・うん・・・!」
アスカの、笑顔。
透き通った、笑顔。
正直に、綺麗だと思った。
アスカがシンジ君と出会ってから。
積み重ねてきた時間。
楽しいものだったけど。
楽しいものだったからこそ。
苦しんでいたのね。
これほどまでに、追いつめられていたのね。
そうね。
女の子だもん。
アスカは、女の子だもんね。
いまのままじゃ、満足できないわよね。
独り占め、したいわよね。
自分だけを、見てほしいわよね。
こりゃぁ、後から。
シンジ君を、本気でせっつかなきゃ・・・
アスカが落ち着いたのを見計らったかのように。
突然、この場に似合わない、メロディ。
アスカの携帯の、着信。
「・・・ん?」
カバンから、取り出して。
「もしもし・・・
へ?シンジ?!
なによ、いったい・・・
はぁ?
うん、しょーがないわねぇ・・・
わかった、いまから行くわ!
じゃ!」
「シンちゃんから?」
「うん。
買い物のしすぎで、持ちきれないから助けてって。
なーにやってんだか!!」
さっきの姿はどこへやら。
いつもの、強気なアスカ。
やれやれ・・・
「じゃあ、ちょっと行ってくるわ!」
「気をつけてねぇん♪」
「行ってきまーす!」
おーおー。
うっかれちゃって、まあ!
おおかた、頭のなかは、
シンジ君と一緒の帰り道のことで、いっぱいなんでしょうね。
自分の携帯を取り上げて。
「・・・もしもし、私。
いま、セカンドが出かけたから。
あと、よろしく。」
いつもの、業務連絡を終えて。
携帯を見つめて。
違和感。
なぜ・・・?
どうして、シンジ君は、アスカの携帯にかけてきたの?
アスカが家にいること、知ってたでしょうに・・・
私を、避けた・・・?
ううん・・・
アスカじゃなきゃ、だめだった・・・?
「・・・もしもし、サード担当班?
葛城です。
シン・・・サードに、なにか変わったことはなかった?
・・・
大きい買い物?
なにを買ったの?
・・・
心配することないって・・・
ちょ、ちょっと・・・
・・・
き、切れた・・・!」
携帯を、呆然と見つめる。
なにがあったの?
シンジ君の買い物・・・
アスカへの呼び出し・・・
歯切れの悪い保安部・・・
ま、まさか、ねぇ・・・
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
20分後。
帰ってきた、ふたり。
シンジ君。
アスカを支えるように。
アスカ。
真っ赤に眼をはらして。
薬指に輝く指輪。
私は、自分の推察以上の事態の進展を知った。
・
・
・
・
・
あれから、一年。
シンジ君が18歳になるやいなや。
一気に事を進めた、アスカの行動力と詰めの堅さは、さすがだった。
そして今日。
ふたりは、高校卒業を待たずして、式を挙げる。
私が身に纏うのは、黒の和服の正礼装。
新郎・新婦の、近しい親族である証。
この姿で、出席してくれと。
ふたりに言われたとき。
嬉しくて。
温かくて。
大泣きしてしまった。
私の手のひらの、消しゴム。
すり減って、使い古して、ちっちゃくなった。
もうすぐなくなっちゃいそうな、アスカの消しゴム。
半角文字、一個分。
緑のペンで、「石」と刻まれた。
アスカの、消しゴム。
それは、一年前に。
あと半角文字一個分、アスカが勇気を出せなくて。
その半角文字一個分、シンジ君が頑張った。
そのことを、無言で語り続ける、モニュメント。
「どうして、ミサトがそれを?」
リツコが尋ねてくる。
「あの日・・・
シンジ君が、告白・・・をすっ飛ばして、プロポーズ、した日にね。
アスカが、ベランダから、投げ捨てたのよ。
それを拾ったの・・・」
「アスカが・・・???
どうして・・・」
「きっとね・・・
おまじないのおかげ・・・なんてことにしたくなかったのよ・・・
シンジ君がくれた気持ちが嬉しかったから・・・
シンジ君が見せた勇気を信じたかったから・・・
アスカは・・・これを捨てなくちゃいけなかったのよ・・・」
「・・・なるほどね・・・
あの子らしいわ・・・」
ふう、とため息をついて。
「・・・で?
なんでミサトはそれを拾ったの?」
「え?
いや、まあ・・・
ほら、なんか、御利益ありそうじゃない・・・」
はあ、とため息をついて。
「・・・あなたらしいわ・・・」
「・・・悪かったわね・・・」
本当は、それだけじゃないんだけどね・・・
シンジ君に告白されるやいなや、
アスカに投げ捨てられた消しゴムに。
自分の姿をかさねちゃったなんて・・・
言えないわよ・・・
事実、間違ってたわけだしさ・・・
ふたりはあの後も、私を邪魔者扱いしなかったもの。
周囲が、突然ざわめく。
一気に、現実に引き戻されて。
空気の変化が、式の始まりを教えてくれる。
賛美歌が響き渡る。
扉が大きく開かれる。
シンジ君が、入ってくる。
落ち着き払って。
そのりりしい姿に、息をのむ。
最初に出会ったときは、あんなにか弱かったのにね・・・
赤い絨毯の上。
祭壇へ向かう道。
途中で足を止めて。
人生のP?伴侶がやってくるのを待ち受ける。
再び、扉が開かれて。
アスカ。
純白のドレスに身を包んで。
深紅の髪をなびかせて。
周りから一斉に、感嘆の声。
空気が揺れ動くほどに。
まるで、礼拝堂そのものが、その美しさに驚嘆したかのように。
その腕をひくのは、加持君。
そう、父親じゃない。
この式に、両家の親の姿はない。
シンジ君もアスカも、いまだに親との関係を修復できていない。
それも、いいかと思う。
急ぐことはない。
あまりに深い溝だから。
ゆっくりとでも、しっかりと埋めていけばいいと思う。
そう、ふたりが「親」になってからでも、きっと遅くはない。
礼拝堂の中央で。
加持君が、シンジ君にアスカを引き渡す。
ふたり並んで、祭壇へと向かう。
その後ろ姿を、加持君はじっと見つめて。
その姿は、まるで加持君の生き方そのもののようで。
ドイツにいる間、アスカを支え続けて。
日本に戻ってからは、シンジ君にアスカを託して。
ふたりが支え合う様子を、かげでそっと見守り続けた。
そんな加持君の姿、そのもののようで。
ふたりが祭壇の前に立つ。
司祭が聖書を読み上げる。
ふたりの前途を祝福する。
「よっ、ただいま。」
「・・・お疲れ。」
「お疲れさま、加持君。」
「いや、柄にもなく、緊張しちゃったかな。」
「ふふ・・・本当にらしくないわね。」
「いや、まったく・・・おや?
それは、アスカの消しゴムじゃないか?」
「へ?
加持君も知ってたの?」
「ま、これでもアスカの保護者のつもりだったからな。」
「・・・ねぇ、ミサト・・・」
「なによ。」
「さっき言ってた、御利益のベクトル。
やっぱり、加持君に向いてるのかしら?」
「!!!
ちょ、リツコ!
いきなり言い出すのよ!」
「あら、違うの?
だったら、それ譲ってくれないかしら。
たしかに御利益ありそうだもの。」
「リッちゃん。
そいつは、あと1週間ほど待っててもらえないか?」
「・・・???」
「あら、どういうこと?」
「いや、な。
あのふたりと違ってな。
俺たちはもう、そいつのおかげ、ということでもなけりゃ、
身動きがとれそうにないからな。」
「か、加持君・・・それって・・・」
「おっと、いまはこれ以上はだめだ。
今日はあのふたりの結婚式なんだからな。
今日の涙は、あのふたりだけのために流されなくちゃならない。
なぁ、葛城。」
「そう、それじゃ仕方ないわね・・・
って、大丈夫、ミサト?」
なにもしゃべれるわけがないじゃない!
口を開くと、泣き出しちゃいそうで・・・
必死にうなずいて、リツコに答える。
加持君・・・
やっと・・・!!!
抱きつきたくなるのを、なんとか押さえて。
そう、だめ。
いまはだめ。
今日はだめ。
ふたりの結婚式なんだから。
私は、ふたりの姿を、
この眼に、この心に焼き付けたいのよ・・・!!!
祭壇では。
ふたりがいま、愛を誓い合っていた。
そう、誓い合っている。
神に、誓うのではなく。
お互いに、誓い合っている。
病めるときも・・・
健やかなるときも・・・
死がふたりを分かつまで・・・
交換される、指輪。
手を、わずかに翳して。
嬉しそうに。
愛しそうに。
指輪を見つめるアスカが、とても印象的で。
シンジ君の手が。
アスカのヴェールをそっと持ち上げて。
見つめ合う。
さらにふたりの距離が縮まる。
ふたりの距離が、零になる。
その姿に、死すらふたりを分かつことはできないと思った。
拍手の音。
強く。
大きく。
礼拝堂が、揺れんばかりに。
それは、ふたりの門出を祝う、みんなの心。
「よかったわね、ミサト・・・」
「うん・・・よかった。
ふたりとも・・・本当に・・・」
よかった。
よかった。
よかったよぅ。
ふたりとも、幸せにね・・・
ふたりの唇が、そっと離れて。
それは、式次第の完了の合図。
そして、色めき立つ、女性陣。
ふたりの儀式の終わりは、
彼女たちの儀式の始まりだから。
「じゃあ、私も行ってくるわ。」
「へ?」
「どうしてだい、リッちゃん?
1週間後には、この消しゴムが手に入るんだぞ?」
「あなたたちは、あの子たちと違って、それのおかげ、なんでしょ。
じゃあ、その消しゴムは、一生ミサトが持っているべきよ。」
そう言って、祭壇の方へと向かう。
そして、入れ違いにやってくる、女の子。
「レイ・・・」
レイは、ちょっと苦笑いを浮かべて。
「・・・やっぱり、少し悔しいですから・・・」
「そっか・・・」
女の意地、か・・・
この子も、だいぶ変わったわね・・・
「大丈夫よ。
レイは可愛いから。
きっと自力で幸せになれるわ!」
クスッと笑って。
「・・・葛城二佐は、どうなんですか・・・?」
「へ、私・・・?」
チラッと、加持君を見遣って。
「さあ・・・
このバカが、あと1週間でなんとかしてくれるって話だけど・・・」
レイは、ちょっと驚いた顔をして。
そして、とても綺麗な微笑みを浮かべて。
「・・・そう・・・
・・・おふたりに懸想する人が、
私くらい性格がいいことを祈ってます・・・」
「う・・・
それはあんまりじゃないか、レイちゃん・・・?」
「ま、たしかにね・・・
加持君なんて、たたいたら埃じゃ済まなさそうだしね・・・」
「いや、それは、その・・・
しかしなんだな・・・目立つな、リッちゃん・・・」
話を逸らす気ね・・・
「ま、あの金髪じゃ、目立って当然でしょ。」
「いや、そうじゃなくてな・・・」
加持君が指差す方を見遣る。
ギッチョン、ギッチョン。
「ま、マジックハンド・・・」
「・・・博士・・・本気ね・・・」
止めろ、誰か。
最前列では、マヤと洞木さんが火花を散らしていがみ合ってる。
かつての「不潔よ」コンビもどこへやら、ね。
でも。
たしかに、ほしくもなるわよね。
幸せになれそうだもの。
そんな女性陣の姿を、さすがに苦笑いしながらも、
優しく見つめるシンジ君。
そして、アスカが背を向ける。
「お、いよいよだぞ。」
たしかに、ほしいけど。
でも、私にはこれがあるから。
手を握りしめて。
感じられる、消しゴムの存在。
そう、私には、この消しゴムがあるから。
この消しゴムを通して、あのふたりからたくさんの想いをもらったから。
だから、もういい。
そして、アスカの手が、振り上げられて。
高く。
高く。
ブーケが舞い上がった。
・
・
・
・
・
一個の、消しゴム。
すり減って。
使い古されて。
ちっちゃくなった、アスカの消しゴム。
真っ白な無地に。
半角文字、一個分。
緑色に刻まれた。
「石」という文字。
無言で、語りかけてくる。
それは、アスカがどうしても踏み出せなくて。
その分、シンジ君が心を奮い立たせて頑張った。
そしていま、私と加持君を支えてくれようとしている。
それはきっと。
半角文字、一個分の。
勇気、という名の。
人を、愛する力。
(おわり)
<<あとがき>>
なんばーーーーーふぁーーーいぶ (/-_-)/
どうも、とれとにあ です。
てらださん!
Illusion Laboratry 1周年、おめでとうございます!
本当に、すごいです!
さて、作中のおまじない。
けっこう、バージョンがあるようで。
ペンの色は、オレンジとか、ピンクとか、青とか。
消すのは、姓からだとか、名からだとか。
ほかにも、一ヶ月以内に使い切るだとか、
他人に知られちゃダメだとか。
まあ、なんのかんのと形を変えながら。
息の長いおまじないのようで。
とまあ、そういうわけで。
Illusion Laboratry も、このおまじないのように。
息の長いサイトになってほしいですね!
(うわ、ごーいん!!)
今後いっそうのご発展を、心よりお祈り申し上げますです!
それでは!
管理人てらだでございます。
テスト期間中で、近況報告SSSも満足に書かないで、記念物語を頂いてしまって、夜道で後ろから刺されてしまいそうです<本気
心が弱いから・・・「おまじない」に頼るんじゃないんですよね?
自分ではどうしようもなくて、でも諦め切れない想いがあって、しっかりとそれに望みを託そうって・・・
真直ぐな気持ちが、シンジ君を引き寄せたって、思います。
でも・・・ホント、アスカ嬢のこのおまじないへの心意気が伝わりますよね。
最後の一歩を踏み出せないところ、そしてシンジ君の気持ちを「おまじない」のせいにしたくないってところは、流石だと思います。
ふたりの未来が誰もが羨まずにいられないようなものである事を、心のそこからお祈りして・・・
こんな素敵な物語をくださった、とれとにあさんに是非是非感想のメールを。
2002 04/14追記
K-2さんからの挿し絵を掲載いたしました
暖かな雰囲気が伝わってくると、思いませんか?